ステラ何も関係ないけど聞いてくれよ

全然ステラ関係ないけどさ、リアルでこんな話ししたら「どうした?」って心配されそうじゃん。
だからここで聞いてくれよ!
え?だれもスクロールしない?
ぐ、ま、まぁいいでしょう。
勝手に書くからいいよwww

僕は無神論者のつもりだけど、宗教ってものに興味があるんだ。
宗教って何?って意味で。

で、何教がどんな考え方かとか、いろんな聖書的なモノを読んだり(途中から読まなかったり)、話を聞いたり(聞いてなかったり)して、最近思ったのは

日本人はみんな一つの宗教やってる説

そして、そのジャパン教(仮)は全ての宗教の集大成なんじゃないか説

結婚式は両方やった、クリスマスはやるけど遊びとして楽しんでる。
僕が死んだら、木魚叩く系の葬儀で見送られるんだと思う。
祈りを捧げたことはないし、親戚の葬式でもない限り自分が何教の何宗かも分からない。
今の日本人だと、これらは特に変ったことでもないよね。

『宗教』って聞くとどこか怪しい感じがするけど、一応社会科で習うよね。
何教はこんな教え、何教は何教の派生、一神教とか多神教とか…

それを聞いて、「なるほど!だから世界の人々は何かを信仰してるんだ!」
って思わないですよねwww
むしろ「は?」って感じっすw

でも大人になってからいろいろ調べてみると、結構それら宗教って、大元は大衆をまとめたり奮い立たせたりするために頭のいいヤツ(か、金持ち)が言い出した俗っぽいヤツだったのが、昇華して考え方の指針みたいになってるものが宗教なんじゃないかって思ったんすよね。

例えば、ある地域を治めることになった王様的な人は、反乱が怖いじゃん。
「むかしむかし神々の時代、ナニナニ神が天地を創りたもうた。なんやかんやあって、その子孫がわてしなんじゃ。」
って言ったら、民衆は「わおすげえ!」てなるじゃん。
ついでに
「その神に祈りを捧げよ、そしたら作物もいっぱいできるじゃろ、だって天地創造の神だもん。あと子供にも恵まれる、なんたって創造だかんね!あとなんかいい感じになるんじゃ」
って言ったらさ、科学とか未発達の時代の人たちは祈るじゃん。
その神に祈ってたらさ、子孫とかいう王様に歯向かおうとは思わないじゃん。

古事記とかもそうだよね、ナニナギのミコトとかアマテラスとかのやつ。
最初にナニナギ2人が湧いたんよ、日本のこの地を作っったん、すごいやろ?
そんでなんやかんやして、太陽とか月とか海とか地獄とか...まぁなんての?この世の全てを準備したんよ、すごいやろ?
その神々の子孫が天皇なんよ、「子孫が」っていうか「子孫だから天皇」なんよ。
天皇は神から今の世を託されてるんよ。
だから他のヤツが治めるとかワケわかんないじゃん、天皇しかありえないんだって!
…という。

現代では心から崇拝するほど天皇偉い!と思ってる人は多くないと思うけど、象徴としてどこか畏れている節はあるよね。

現代でもそうなんだから、大昔だったら崇拝に近い形になると思うんだ。
歴史に詳しくないけど、神の子孫でもない徳川家が200年も世を治めた時代の終わりですら、「天照大御神」と書かれた旗を敵軍が持っていると超がっかりしたとか。
※天照は古事記の太陽神で、たぶん一番偉い神さま

200年経っても神は神なんすね。
「錦の御旗を持ってないから賊軍だ?そんなの関係ねぇ!勝った方が正義だ!」
って考え方ができる人は少ない、ていうかほぼいなかったとか。
見てないけど。

で!
これを宗教と言うかというとちょっと違うくない?
でも、この考え方があったから、宗教戦争とか無しで日本にいろんな教えが入ってきたのではないか。

古事記的にっていうか天皇的にというか、日本にはいっぱい神がいるじゃん。
アマテラス、スサノオ、ツキヨミらへんは代表格だろうけど、山の神とか水の神とか。
もはや大根にもスマホにもビールにも神がいると思うよ。

そんなんで神様いっぱいいるからさ、聖地はあっても特定の場所に固執しないじゃん。
あとさ、他の国から遣いがやってきて新しい神様の話をされても、元々いっぱいいる神が増えただけだから問題ないじゃん。

でもそうじゃない、特に一神教ってさ、すぐ宗教戦争するじゃんw
イスラエルなんか太古の昔からやないか!いつまでやっとん!
でもあれ、しかたないよね…
一神教同士で同じ土地を争うから。
多神教は他の神も認められるけど、一神教だとそうはいかない。

一神教を信仰するA君の友人が別の多神教を信仰するB君だった、
というところまでは許せる人が多数を占めると思うんだ。

ただ、聖地とする場所が被ってしまったら…?
友人でいられる?
友人一人を許しても、友人の仲間は許せないかも。

そうなってくると、驚異の団結力は出てくる、よってどちらも諦めない。
大衆をまとめる、奮い立たせる
という意味では大成功!

でも今は宗教ってそれ以上の意味を持っていると思うんだ。
一部の宗教は、今に限らず最初から。

例えば儒教とかは、社会科で習う時にも『宗教』というより『学問』としてのイメージが強いよね

寺小屋だって、教養を学ぶ場なのに寺なんだよね
人々が集まりやすいからって側面もあると思うけど。

宗教って『教え』とも言うじゃん。
キリストの教えとかさ。
仏の教えは聞いたことないけど。

こういうのって、学問の側面があるとはいえ、「1+1は、2になります」とか「りんごが木から落ちるのは重力に引かれているからです」とかじゃないじゃん。
基本的な読み書きや、一部では研究とかもしてたみたいだけど、ほとんど『教え』っていうのは『ものの考え方』じゃない?

倫理や道徳、モラルのありかた!

これのベースになっているのが『宗教』だと思うんだよね!

日本の学校では『道徳』て教科がある。

これ海外だとほとんどないみたいなんだ。

知り合いのクリスチャンに、
「キリストを信じる、聖書を信じるってさ、どういうことなの?進化論が間違っていると考えてるってこと?アメリカの学校どうなってんの?」
て聞いたことあるんだ。
誠に失礼だがwww

すると、
・確かに聖書では進化論を認めていないけど、事実かどうかじゃなくて気持ちの問題
・学校では普通に進化論をやるよ
・アメリカだと学校での宗教教育は禁止されてるよ

ということでした。
精神のありかたが聖書にある、とも言っていて、それは意味が分からなかったんだけど

答えが何かではなくて、考え方の指針が宗教ってことなんじゃないのかな。
でも学校で宗教教育は禁止だから(アメリカだけじゃないようです)、教会に行ったり祈ったりしながら、自分がおかしな方向に行かないように日々成長してる。

「神の導き」ってそういうことなんじゃないのかなぁ。

今の日本人で「私は何教を信仰してます!」て人は少ないけど、考え方の指針は道徳にあるよね。

教科としての『道徳』がどの程度役に立ったかはわからないけど、人に優しくしなさいとか、怠けてはいけないとか、騙してはいけないとか、そういう指針は『宗教』に頼らなくてもみんな持ってる。

程度の差もあるし、常に守っていられるわけでもないけど。

これは、神の国日本なのに徳川が受け入れられたり、多神教だったり、宗教の他にも武士道とかの教えや礼儀があったりした歴史のおかげなんじゃないかと思うよ。
しらんけど。

たぶん他の国々にも、人々にも、そういうのはあるんだろう。
でも宗教を信仰している間は、その人にとってそれがベースだから無いなんてあり得ないんじゃないかな。


だから例えば、
「君が信仰している宗教はなんだい」
て聞かれたら、我々はどう答えればいいんだろう。
聞かれる機会はないと思うけどw

「無宗教だよ」
「なにも信仰してない」
と言ったら、『考え方の指針=宗教』としている人にとっては、
「何も考えてない。俺にはモラルも道徳もねえんだ」
と言ってるヤバい奴に見えるかもしれない(o゚д゚o)!!

…考えすぎか?w

「武士道精神だ」とか「アイアムニンジャ」とか言っておくのが無難なのかもしれない(謎)


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